弁天

その代わり、近くに弁天があることを教わりましたので、恩田川沿いを高ヶ坂方面に進みます。この先には、弁天橋があり、この場所は、弁天橋公園と名付けられています。なるほど、弁天があるからです。

成瀬会館のちょうど裏手に弁天がありました。そばに、成瀬会館による弁天の案内板がありますが、なぜか、この弁天については説明していません。中を覗き込むと、延享5年正月(=寛延元年(1748))の弁財天女と彫られた石神がありました。

登り坂

扇橋から先の道は、丘の坂道が続きます。恩田川の河岸段丘といったところでしょうか。

因みに、この場所の東側に、東雲寺の項で登場した中世末期の成瀬城跡がありましたが、見逃しました。古城マニア失格です。

交差点

丘を下り、左手に南成瀬小学校の校舎が見えてくると、交差点に出てきます。ちょうど、下校時間となったらしく、小学生達とすれ違います。

交差点の先に見える坂道を登る途中の右手にある南成瀬2丁目集会所に、次の石仏群があるはずです。

南成瀬2丁目集会所はいずこ?

その南成瀬2丁目集会所の場所でなぜか、工事中。その庭にあったという石仏群はどこかに移されたのでしょう。

この場所には、原不動様があったようです。「成瀬」によると、原不動様は、光専峰へ行くゆるい坂の登り口にあって、原と会下山の人たちが祀っていたそうです。この建物は信奉者達の集会所を兼ねていたのだそうです。
続く