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めおと坂?先程の交差点に引き返して、高ヶ坂方面へ西進します。成瀬から高ヶ坂へ。初めはあった歩道も、途中から消えてしまいます。車の交通量が多く、しかも道がカーブしているので、歩くのがとても怖い。「町田の民話と伝承第二集」によると、「原の不動様の近くで、成瀬から高ヶ坂に通じる境の坂道のことを「めおと坂」と言った。〜道の起伏がラクダの瘤に似た形で、成瀬分は高ヶ坂の倍の大きさがあった。それで成瀬側を男、高ヶ坂側を女にたとえ「夫婦坂」といわれるようになった。」 |
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左折続けて、「町田の民話と伝承第二集」によると、「この道は、成瀬街道ができるまでは、古道として非常に重要な道であり、古くから往来も多かった。」ということです。前方に、町田駅前のマンションが見えてくる辺り、右手の空き地に、大きな旧陸軍兵士の碑と小さな馬頭観音の碑があります。その前の路地へ左折します。 |
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石仏群ちょうど上の写真の左手には、石仏群が並んでいます。左から、文政4年(1821)の庚申塔、嘉永4年(1851)の道祖神、安政4年(1857)の地神塔です。幕末の石碑なので、文字だけの簡素なものになっています。基本的に、年代が古いもの方が彫刻に手が込んでいます。全て4の付く年に作られていますが、何か、関係があるのでしょうか。 |
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高ヶ坂地蔵堂路地の左手に、高ヶ坂地蔵堂があります。「新編武蔵風土記稿」によれば、江戸時代の頃には、高ヶ坂村の中央から東の地域を指す、字桑樹下と呼ばれるこの地域にあり、この先の祥雲寺持でした。由来の石碑を見ると昭和46年に当時の南農協が、焼失した倉庫の代替地として、荒廃していたこの場所を整理して、倉庫と地蔵堂を建設し、その後、地蔵堂を平成12年に新築したことが書かれています。 |