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杉山神社が見えてくるやがて、前方に杉山神社の杜が見えてきます。本殿の横辺りから、柵を通り、境内に入ります。 |
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杉山神社「延喜式内社、武蔵総社六之宮」とある大国魂神社宮司猿渡盛文による由緒書きによると、祭神は、五十猛命。東京府中の大国魂神社の六の宮とのことです。「続日本後記」承和5年(838)「武蔵国都筑郡杉山神社預之官幣以霊験也」(霊験豊かであるので官幣社となる。)とあり、同書の承和15年(848)に「奉授武蔵国无位杉山明神従五位下(無位から従五位にする)」とあります。猿渡盛章著「新撰総社伝記考」には、以前、北西3町(300m)にある大明神山にあったといいます。「神社大観」によると延宝年間(1673〜1681)に現在地に移転しました。 |
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神社前「武蔵風土記」によれば、杉山神社は元々、西八朔村、北八朔村両村の鎮守だったということです。その根拠は、北八朔村に鳥居前という小名があり、一の鳥居があったというので、西北が一村だった根拠になっています。「中里郷土史」によれば、正保年間(1644〜1648)の頃には、分かれていたそうです。ひょっとしたら、杉山神社の移転も西北の分離に関係があるのかもしれません。目の前にバス通り(川崎町田線)が見えますが、その前に、神社前を左折し、杉山神社の別当寺だった極楽寺へ向かいます。 |
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地神塔と庚申塔杉山神社の前の通りに沿って、天保12年(1841)の地神塔と元文4年(1739)の庚申塔があります。庚申塔には「小机領之内西八朔村」と刻まれており、八朔が昔からある地名であることを再認識し、西と北とに分かれていたことを再認識します。 |