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右折この先、なぜ渋滞しているのかといえば、左カーブした先の交差点で右折待ちの車が多いためです。おそらく、真っ直ぐ行く道が工事中なのもこの解消のためだと思います。私は、この右折の場所を見逃し、東戸塚グリーンタウンの住宅街の坂道を東海道線の線路のある谷底まで降りていってしまい、ようやく道を間違えたことに気づき、必死の思いでこの場所に戻ってきます。 |
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境木が見える右折した先が即ち、境木地蔵尊に続く道となります。マンションが道沿いに立っています。歩道もなく、スピードを出している車が多いので注意。ようやく、境木地蔵尊の境木が見えてきます。「横浜の地名」によれば、境木とは即ち、武蔵国と相模国の国境を示す木のことで、境木だったケヤキは樹齢300年とのことです。武相国境道も境木地蔵尊の手前で合流してきます。さらに境木地蔵尊が面している道は旧東海道となり、江戸からの最初の難所であった権太坂を登りきった場所でした。 |
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境木地蔵尊何人もの人が入れ替わり、お参りをしています。案内の石碑によると、お地蔵様には次のような伝承があります。「いつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕に立ち「俺は江戸のほうへ行きたい。運んでくれたらこの海を守ろう」と告げたので江戸に運ぶ途中、この境木で動かなくなった為、お堂を立てて安置した所それからは村が繁盛したとのことです。」 江戸が好きな地蔵なら、願いを叶えてくれると江戸の人達が燈籠を寄付し、参拝し栄えたとのことです。 |
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境木立場跡旧東海道を権太坂方面に進みます。道は非常に狭く、車が行き違うにも苦労するほどです。案内板には、この境木立場は、保土ヶ谷宿方面の権太坂、戸塚宿方面の焼餅坂、品濃坂の難所を目の前にし、西に富士山が見える眺望の良い場所として、旅人が必ず足を止める名所だったとのこと。また、茶屋で出される牡丹餅(焼餅)が境木名物だったとのこと。今も焼餅坂に名を残します。左手に見える黒板塀の家はその立場茶屋だった若林家。 |