英連邦戦死者墓地

数年後、接収は解除されたものの、既に墓地が作られていたため、この場所は英連邦戦死者墓地委員会に永久貸与され管理されています。

ここに眠る戦死者の約1840名の内、約1720名は、日本国内の捕虜収容所で死亡した人達です。その中には、外地で捕虜となり日本に連行され、すし詰めの船中での病気、収容所で満足な食事を与えられず過酷な労働による栄養失調、看守による私的制裁、味方の艦砲射撃などによって死んでいった人達が含まれています。

イギリス区

なぜこの場所に墓地があるのかというと、英連邦軍の規則により戦死者はその地に葬ることになっていたからです。墓地は英連邦の出身国ごとに分かれていて、その国ゆかりの木々(オーク、ユーカリ、楓)が植えられています。それぞれ、イギリス区、インド区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、そして戦後区の5つの区画に分かれています。

私の歳に満たない数字が刻まれた墓を眺めていると、さぞかし無念だっただろうと思いつつ、自分はその歳に何をしていたのかと考えこんでしまいます。

納骨堂

イギリス区の中に納骨堂があります。335人の遺骨が納められ、壁にはその名前が刻まれていました。

この中には、英連邦とは違って故国に墓地をつくるアメリカ人、オランダ人の遺骨も含まれています。

墓地の紅葉

この英連邦墓地の記事について、笹本妙子著「連合軍捕虜の墓碑銘」を参考にしています。訪問前にぜひ、この本を一読することをお勧めします。戦死者墓地だから軽い気持ちではいけないとは感じましたが、その本を読むまで戦死者の殆どが捕虜だった悲惨な事実を知りませんでした。

この場所は飲食、墓地訪問者以外の芝生の立ち入りは禁止です。知らずに入っていました。反省します。緑の軸散策路はここがゴールになります。
続く