道は続いてた

この道に入ってすぐ、先ほどの安立寺を取り囲むようにして柵が続いています。

その柵に「この先のお寺の山の中には戦争中に掘った深い穴がたくさんあります。大変危険なので絶対立ち入らないでください。安立寺住職」の立入禁止の看板。

抜けられた

戦争中ということは、防空壕ぐらいしか、思いつきません。そういえば、以前、このお寺の裏山辺りを歩いた際に見かけた穴は防空壕だったのでしょうか。このそばにある枡形山には、高射砲があったと聞いています。

ちょっとした散策路。抜けられるようです。その先の右手に赤い神社の社が見えてきました。

長森稲荷

一見どこにでもあるような、普通の稲荷に見えます。

ですが、調べてびっくり。江戸名所図会には、京都伏見の藤森長森明神の眷族渡一銀狐神を麻布日ヶ窪(今の麻布六本木)に祀って江戸市民から尊信厚かった社を、元文5年(1740年)、安立寺の僧日現が、ここに勧請し、ここに遷したとされるとあります。江戸からの参詣人も多かったそうです。(川崎地名辞典より)

民家園通り

長森稲荷を出た目の前の通りが向ヶ丘遊園駅前から生田緑地の民家園に続く道。

右斜め前に酒屋があります。目の前の交差点の角にある東生田自然遊歩道の案内板によれば、この酒屋の横の道に入り、飯室山を経由して、枡形山に登れることがわかりました。その通り、行くことにします。
続く