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権現台妙楽寺を出ると、押し車を押した老人が妙楽寺の門前で丁寧に頭を下げ、その先にある長尾神社の前でも頭を下げていきます。その跡を歩きます。坂の左手には、NTT向ヶ丘住宅が続きます。それ越しの都心方面の眺めが良いです。「川崎地名辞典」によると、この長尾神社周辺の高台を権現台と呼びます。縄文時代中、後期の権現台遺跡があるのも、長尾神社の辺り。権現台の権現の由来は、長尾神社がかつて、五所権現社と呼ばれた事に因みます。 |
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長尾神社境内では、神社の杜のイヌシデ・シラカシが紅葉を迎えています。祭神は、国常立命(くにとこたちのみこと)、大巳貴命(おおなむみのみこと)、大日霊貴命(おおひるめのみこと・天照皇大神)。「多摩区の歴史」によると、由緒は、明治40年、長尾村内北側を指す河内長尾の鎮守であった五所権現に、長尾村南側を指す神木長尾の鎮守であった赤城明神(現在の神木本町の天満宮境内)などを合祀しました。毎年1月7日に近い日曜日に、神前で的を射ってその年の豊作と村内の安全を祈る予祝行事、マト−が行われているそうです。 |
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多摩区・宮前区境長尾神社の前の坂道を登ると切通しへの交差点となり、同時にここで、多摩区・宮前区境になります。「多摩区の歴史」によれば、昔は、長尾村として一つの村だったのですが、その中では、北部を河内(耕地)長尾、南部を神木長尾(谷長尾)の二区に分かれ、それらは、年貢等の面でかなり独立性の高いものであったとのこと。現在では、河内長尾は多摩区に、神木長尾地区は宮前区にとそれぞれ分かれています。なのに、神木長尾の鎮守であった赤城社は、多摩区の長尾神社に合祀されたまま。ちぐはぐな感じ。 |
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五所塚第一児童公園前神木長尾の神木本町に入ります。上の写真にも見えますが、坂の上に、球体の奇妙な物体、そして、右側に公園が見えてきます。この球体の奇妙な物体は、長尾配水塔で、手前の公園が五所塚第一児童公園です。公園のある地名は五所塚1丁目となっています。 |