二ヶ領せせらぎ館前

道路に沿って、堤防がその先に続いています。

堤防の外側に森が見えます。そこには、治水興農の守護神、船島稲荷神社があります。

船島稲荷神社参道

土手と土手の谷間に降りて、船島稲荷神社の方へと進みます。

寂寥感のある道です。

船島稲荷神社

境内の石碑によれば、元々は、明和8年(1493)対岸の狛江市に道祖神、猿田彦命を祀った事に由来するようです。天正19年(1591)、それが、洪水の為、多摩川の流れが北となり、中島となってしまいます。

さらに、万治2年(1659)、水難の為、元稲荷という場所に移り、笠間、豊川、伏見の各稲荷を勧請し、正一位稲荷大明神となります。享保6年(1721)に現在地に移ります。天明6年、大水害により、翌年(1787)に船島になってしまいます。これが正一位船島稲荷大明神の歴史です。

沓稲荷

船島稲荷神社は、別名、沓稲荷と呼ばれています。その名の通り、社殿の扉に藁沓が掛けられています。

この由来については、諸説ありますが、「川崎の町名」によると、「昔、ある殿様の馬が病に倒れた折、この地の伯楽が手当てして治した事から、感謝した殿様は、馬の健脚を祈願して、この稲荷に馬の藁沓を奉納しました。以来、村人は願い事があると、拝殿の藁沓を一つ頂き、願い事が適うと、その御礼に藁沓を倍にして返すと言う風習が生まれた事から「沓稲荷」と言われるようになりました。」
続く