鉄塔が見えてきた

住宅地の中に入ります。この辺りに玄蕃あらくに出てきた、江戸時代の中田村の地頭、石巻五太夫康敬の墓所があるのです。

こんな住宅地の中に墓所なんてあるのかなと思いながら進むと、程なく左手に見つかりました。

石巻五太夫康敬墓所

康敬は、江戸時代、中田村の初代の領主。元は、後北条氏の重臣で、豊臣秀吉による小田原征伐の直前の天正18年(1590)、当主、北条氏直の代理として上洛し、秀吉に謁見するものの、氏直が上洛しなかったため、人質にとられ、(諸説あります)小田原征伐の後は、徳川家康に預けられ、中田村に謹慎させられることとなりました。

同年、関東に領地を替えられた徳川家康を出迎え、許されて中田村の領主となります。その出迎えた場所は、五太夫橋(戸塚区)と名を残します。この墓は、子孫によって、没後、150回忌の宝暦12年(1762)に建立されたものです。

鉄塔前

墓所前の道を鉄塔方面へ進みます。

ちょうど、鉄塔の前で交差点。地図で見ると鉄塔の周りがロータリー風な交差点になっています。

東中田小学校入口交差点

通りに出てきます。御霊(ごりょう)神社に行くため、この交差点を右折します。

交差点を真っ直ぐ進む道は、北に進んで八王子道になっていた模様。
続く