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宝寿院前交差点バス通りを東へ。街を行き交う人も増えてきました。 |
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宝寿院山門宝寿院前交差点の名の通り、交差点に面しているのが、宝寿院です。正確には、汲沢山宝寿院願行寺。「戸塚歴史ろまん」によれば、宝亀3年(772)の創建、宝寿坊といって、寺の裏手の丘の高台にあったようです。それを天正年間(1573〜1592)に、住職が森織部、石井為忠(どちらも汲沢の郷士らしい。中居の不動様の願主の石井氏と関係あり?)と計って、森織部守の本尊である不動明王を本尊として、一寺としました。 |
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木食観正の碑門前に、文政2年(1819)の木食観正の碑があります。「ふるさと戸塚」によれば、江戸時代には、木食と呼ばれる遊行僧達がおり、仏像彫刻にも優れていたそうです。その一人、木食観正は、相模から江戸にかけて民衆の信仰を集めます。この地域でも、講中がつくられ、この碑には、深谷・原宿・戸塚宿・中田・飯田・川井・汲沢の旧村名が記されているそうです。(私は確認しませんでした。) |
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宝寿院本堂ちょうど、境内では、法要が行われていて、喪服を着ていた人たちが集まっていました。境内の枝垂桜の枝ぶりが見事でした。桜が咲くころに来るといいかもしれません。 |