灯明寺前

その先に次の目的の灯明寺が見えてきます。トイレがあるのかしら。その手前の十字路には、昭和54年の的場土地改良地区の完成記念碑があります。

その内容は、この地は別名、萩山とも言い、昭和38年当時、この地は、道なき山林原野であった。そのため、土地改良の計画を企てた。昭和41年に開始し、2年かかって完成。高い場所では10m掘り下げている。

灯明寺

上に続けて、この土地改良計画のきっかけは、この灯明寺のこの萩山への移転である。元々、灯明寺は、堤ヶ谷(小雀町の北東)にあったが、関東大震災で倒壊し、殿ヶ谷に仮移転していました。

「戸塚歴史ろまん」によれば、臨済宗灯明寺は、先程の五霊社を創建した円仲省鏡が明徳年間(1390〜1394)に創建されたものだそうです。境内を歩いてみました。中村汀女の句碑が置かれています。トイレは見つかりませんでした。

バス通りに戻る

その先には、先程、千秀小学校の辺りから五霊社まで通ったバス通りがあります。

右側が今まで来た方面なので、左折します。

小雀バス停前

ちょうど、そこにある小雀バス停。その裏手に、祠があります。「戸塚歴史ろまん」では、なぜか、紹介されていません。

中を覗いてみると、「右とつかみち」と書かれた出羽三山碑、馬の絵が描かれた馬頭観音、そして、六地蔵達が集められています。土地区画整理事業でこの地に移転したのでしょうか。
続く