長谷寺(ちょうこくじ)

「栄区郷土史」によると、領主だった富士氏のお墓のあるお寺です。観音堂とも呼ぶそうです。「相模国鎌倉郡村誌」の長尾台村の項によると、富士氏は、江戸時代ずっと、長尾台村の領主でした。この長谷寺は、文明13年(1481)、僧祐景が開基、創建したということなのでかなり古い。 「戸塚郷土史」によれば、臨済宗台竜山と号し、本尊、聖観世音菩薩。

境内の奥に墓地が見えます。丘側の崖に祠があり、そこから水が湧き出、境内の中を流れていました。

左折

元の道に戻り、東進します。周りは、農家と一戸建ての住宅、そして、生産緑地のビニールハウスが続きます。

次の目的地は、長尾台御霊神社。途中の十字路を左に曲がり、道に並行している丘の方へ向かいます。

坂道

道の両脇には、農家があります。その先は坂道。そのうちに住宅が終わり、切り通しに変わります。

長尾台御霊神社があるのは、道の右手の方。それらしき、林が見えるものの、こちらからは直接、行けないようだ。後でわかったことですが、切り通しを抜け、坂を登り切る直前の右手にある道を行けば、神社の裏手に出ます。

長尾砦址(振り返る)

この坂道を登ってくる途中、左手には、長尾砦址という案内板があります。

「栄区の案内板」によると戦国時代、小田原北条氏が築いた玉縄城(鎌倉市)の出城だったらしい。地元の人に聞くと、その中心部には昭和7年頃、疫病が流行ったということで、石が積んであるらしい。でも、そこに行くには崖で危険だから止めた方がいいよと言われました。
続く