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田谷・長尾台農専丘を登り、開けてきました。この辺り、田谷・長尾台農業専用地区といって、見渡す限り、畑が広がる気持ちの良い場所。T字路に出てきました。農専の中をぶらぶら行こうかと思いましたが、時間的に厳しいので右折して、長尾台の中心部へ右折します。 |
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坂道下り坂を降りていきます。目の前にはタツノやニコンの工場が見えます。長尾神社に行かねばなりません。途中のY字路を右折して、住宅地の中へ入っていきます。 |
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字、宮之前降りてきた右手に、御霊神社がありました。参道の横から入る形。手前右の分かれ道は、今来た長尾砦方面に繋がる一本道。御霊神社、長尾砦跡のどちらとも、鎌倉、室町時代、この地を治めていた長尾氏の居館跡とされています。不審な人と思われたのでしょう。近くを歩いていた老婦人に呼び止められて、歴史散歩をしていると告げた所、いろいろな話になり、約1時間程、人生相談をされて、ようやく解放されます。 |
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長尾台御霊神社この辺りの神社は、殆ど、御霊神社といっても間違いないでしょう。この長尾台御霊社の場合、長尾氏の開祖、長尾次郎の長男、新五為景が祖先を祭る御霊社を勧請したのが始まりという由緒がそれを裏付けます。「栄区郷土史」によると、古くから、祟りを恐れて、合戦で倒した敵の霊を手厚く祭り、祭神とする御霊信仰というものがあり、それに、祖先である鎌倉権五郎景政が祭神として合祀されたため、このように、その子孫達が自分の領地に勧請したためだそうです。 |