富士登山碑

尾根道経由、馬場跡経由でも、富士塚広場に出てきます。休憩ベンチ裏手にある小高い場所への入口に江戸、明治の富士登山碑が並ぶ様に立っています。これは、富士山に33回登ったという記念碑です。大先達、先達(山登りのガイド、リーダー)達の名が刻まれています。(写真は明治のもの。碑に刻まれた富士山の形が面白いです。

なぜ、ここにあるのかという問いには、そばの地元の方による説明板が答えてくれます。江戸時代、この辺り(今の多摩区、麻生区の辺り)の冨士講(民間信仰みたいなもの)の人達は、ここまでやってきて(集合したのだと思う)多摩川を渡り、調布から甲州街道を通り吉田口から富士山に登ったのだそうです。

富士塚(八州台)だと思う

富士講の記念碑が立っていて、しかも、こんな山の場所を通ったからには、富士塚があると思っていたものの。見つけられず。石碑があった辺りが富士塚であることに帰ってきてから気づきました。八州台の八州は関東八州を見渡せるという意味だと思います。

富士塚に入ってみるものの、行き止まり。富士塚の左脇の坂道を降って、城の東側へ。富士塚の真下辺りで、右から来る馬場跡方面経由の道と合流します。(馬場跡方面経由の道の方が坂が緩やかです)

空掘の分かれ道

すぐに谷底のような場所に降りてきます。ここには空堀が横切っています。(道の左脇に見える地元の方の説明版で知りました。)本丸部分の独立性を高めたのでしょう。

同時に分かれ道となります。自然遊歩道のコースは真っ直ぐ進みますが、アップダウンが多く、歩くのはきついです。右への分かれ道を行けば、麓の住宅地に一気に下ることができます。今回は、自然遊歩道のコース通り歩きます。下り道なので楽だろうと思ってましたら、目の前に傾斜のきつい階段が待ち構えています。
続く