戦跡の博物館では30分程度の自由時間が有りましたが、只管博物館の展示物を写真におさめていました。
中華アクションカムでも博物館の中の様子を撮ったりしましたが、そのうち見かえしてみようと思います。
殆どの遺留品はガラスケースに収められていますが、
場所が足らないのか床に直置きの品も多かったです。
30分程度ではじっくり観ることが出来ませんでした。
戦争の悲惨さを後世に伝えることが大事です。
この絵はかなり有名ですが、戦争で殺し合いをすると精神が壊れるんでしょうね。
今はペットボトルで水分補給が出来ますが、
当時はアルミ製の水筒に水を入れて水分補給していたんですね。
修学旅行で海外行くんだったら、パラオとか良いと思いますね。
やはり戦争は悲惨という事を子供の頃から教えるべきかなと。
youtubeに上がっているペリリュー島の戦いの動画とか観ると
この絵がわかったりします。
旧日本軍は殆ど全滅に近い人数が亡くなりましたが、
米軍も相当の若者がオレンジビーチで亡くなったそうで、
オレンジビーチの近くの場所は一面お墓になったそうです。
千羽鶴も日本の遺族の方が持ってこられたんでしょうね。
自由時間の30分なんかあっという間でした。
博物館の外にも大砲とかの残骸が展示してありました。
再度バスに乗り込み、旧日本軍司令部跡へ向かいます。
5分程度で到着しました、バスに乗ると直ぐに着きますが、
歩くと15分位は掛かるでしょうね。
廃墟好きにはたまらない建物だと思いますね。
建物の近くには防空壕も見えます。
2Fにも行ける階段がありましたが、今回は登りませんでした。
以前のツアーでは登ったそうですが、
経年劣化が激しくて危険と判断して登らなくなったんですかね。
鉄筋コンクリートが激しい爆撃と経年劣化で鉄骨がむき出しになっていますが、
それでも4年前の台風では近くの民家の屋根が吹き飛ぶ中、住民の方はこの建物に
避難して難を逃れたそうです。
司令部は結局洞窟に移動していたため、
米軍が上陸してきた際には使われていなかったそうですが、
米軍がこの建物を使ったそうです。
余り立派な建物や飛行場を作ると、相手に奪取されると逆に窮地に追い込まれますね。
この状態でよく崩壊しないですよ。
トイレや炊飯場跡ですが、当時は和式トイレと言うのが良くわかりますね。
今でこそ洋式トイレが当たり前の時代になりましたけどね。
写真の右側が風呂場跡だそうです。
現役時代はどのような外観や内装だったかとても気になります。
続いて、この鉄製の厳重な扉の中に進みます。
かなり厳重で窓も小さく、とても薄暗いです。
この中で手紙等を書いたそうです。
それにしても妙に広かったです。
勝手口のような場所から外へ出ました。
これは米軍が占領した時に作ったそうです。
またバスに乗って移動します。
次は道の途中に放置されている、日本の軽戦車の残骸。
旧日本軍95式軽戦車と言う戦車だそうですが、米軍の戦車と比較して、
如何に戦略が優れていても、こりゃ勝ち目有るわけ無いなと感じました。
悲惨な戦争の爪痕も今じゃ植物のポット代わり。
元々米軍がパラオのペリリュー島を奪取しようとした目的は、
当時ペリリュー島に飛行場が有ったからというのは有名な話ですね。
2015年の天皇皇后両陛下がヘリコブターで上陸された際は、
この飛行場の一部を整備したそうで、一部だけ綺麗になっていました。
滑走路の先は米軍が上陸に苦戦して大量の死者を出したオレンジビーチに到着。
今じゃこれだけ綺麗なビーチも、当時は兵士の血で真っ赤に染まったそうです。
こちらも、天皇皇后両陛下が訪れているそうです。
オレンジビーチを見終わって、またバスに乗り込み5分程で次の場所に到着。
次は52型零式艦上戦闘機の残骸
調べると、このゼロ戦は中島飛行機製で、今はSUBARUですね。
ゼロ戦は博物館とかでしか見た事が無いので、このような朽ちた姿は衝撃的でした。
未だに残っていることもね。
ゼロ戦は装甲が薄く軽いので、旋回性能が高く敵の戦闘機の後ろに回り込んで
攻撃を加えるのが得意だそうですが、装甲が薄いのは逆に攻撃を食らうと
モロに乗員に被害が及ぶという事ですね。
結局、お国の為に自分を犠牲にする精神より、
戦争から家族の元へ生きて帰るのが良しとした米軍には、
長期戦になるにつれて勝てないというのがわかりますね。
当時のアメリカは日本軍から戦争を仕掛けるように、
徹底的に挑発して、日本はまんまとその挑発に乗ってしましましたが、
回避する方法とか本当に無かったんですね。
まぁ、全力で戦争したからこそ、今のアメリカとの関係が有るのだと思いますが・・・
ゼロ戦の残骸を観終わったところで、バスに乗り込み、お昼の休憩場所へ移動します。
ここで、ドリンクをもらいますが、台湾の凍頂烏龍茶を選択しました。
お昼はお弁当、ご飯はパサパサしていてあまり美味しくは無かったのですが、
贅沢は言ってられませんね。
ただ日本で食べる米のおいしさを再度実感しました。
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